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何もできなかった日、何かできた日

ハグルのこと その他 病院

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いきなりだが、私は、第一印象がいいらしい。
初対面では、「笑顔と丁寧」を心がけ、よほどのことがない限り、穏やかな態度で話をするようにしている。
感じが良い人になりなさい。と、親だか祖父が言っていたので、そういうものだと思ってきた。
でも、この「感じが良い人」を続けるのが、なかなか難しい。

第一印象が良かった分、真顔でいると、どうした?と聞かれ、たまに、きっちり意見を述べると、えぇ!?と、意外な顔をされる。おとなしいと思ってたのにな。と、その顔には描いてある。

反対に、普段から仏頂面をしている人が、少し微笑んだだけで、あ、〇〇さんが笑った。と、いいものを見たように評価が上がる。
足し算される人と、引き算される人。私は後者だった。そして今は、そのどちらでもない。

~冬の日~

5年前の冬、私は浴槽の中で倒れた。
小学生の頃、炎天下の校長先生の長い話に耐えられず、友達が数人ゆらゆら倒れていくのを見て、どうしたら、あんな風にフラっとなるんだろう?と、か弱い女の子らしさが不思議でもあり、うらやましくもあった。

そんな私が、ある夜、浴槽の中で、足から崩れた。
どこかで、ゴン!と音がして、ああ、やっちゃった。と思ったのを覚えている。

その後、救急車で運ばれたのだけれど、現実は、ドラマとは違った。
私は裸で倒れたのだが、着せられていたのは、なんじゃこれ?というヨレヨレの服だった。しかもパンツはいてない

知らない人に耳元で話しかけられ、身体を触られる。救急車の中では体温が下がり、身体が冷えていくのがわかる。誰かが、もうすぐ着くからねえ。と励ましてくれるが、そんなことより、今、私が行きたいのはトイレだ。
結局、病院で真っ先に向かったのはトイレで、人生は、生き恥の連続と思い知った。

一晩あけて、私は携帯を取り出し、友人に「今、〇〇病院っていうとこにいるよ。なんか、脳出血か脳腫瘍らしい。」と送信した。

ずいぶん後になって知ったことだけれど、メールを送った友人は医師だったので、私が脳腫瘍であることをすぐ理解したらしい。脳出血ならメールは送れないからだ。

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~窓の形の空~

脳腫瘍があります。と告げられた時、ああ、人生終わったな。と思った。
ドラマのヒロインが罹る病気に、自分がなるなんて思ってもみなかった。
遺伝ではなく、原因は不明で、10代~60代までの女性に多い病気らしい。

その時は、意外と冷静に受け止められたものが、その3日後、私はパニックに陥った。
病棟の端の個室に移った後、丸一日、忘れられた日があったからだ。
その日、家族が来られないのは承知していたが、なぜか看護師さんもお医者さんも来ない。電気もつかない。食事も来ない。ナースコールには、手が届かなかった。忘れられてる・・・。と思った。
いいよ、どうせおなかすいてないもん。と思いながら、おなかがグ~っとなって、泣けてきた。

死にたい。あ、でも、そのうち死んじゃうのか。
そんなことをグルグル考えながら、一日中、窓の形の空に浮かぶ、雲や月を眺めてた。

いつから、病院では、本人を前にして、はっきり病名を告げるようになったのだろう。
昔のドラマでは、医師からこっそり呼ばれた家族が、その病名を聞き、絶句した後、本人には告げない旨を約束し、気丈に振る舞う。という場面があった。

手術の前に、どういう検査をするのか、経過等々、自分のことなら詳細に知りたい人は多いだろうが、私はというと、全面的に任せるから、治療や手術は、がんばって、慎重にやってもらいたい。それが本音だった。
怖かったのだ。しかし、自己責任、自己管理が基本の世の中では、自分のことは、自らが一番理解すべきなのだろう。

それでも私は、「精神的に辛いので、詳しい説明はしないでほしい。手術で何かあっても、先生を責めるようなことはしない。」と話した。
若い医師は、わかりました。と言いながら、その直後からもう「カテーテルでは、血管を破る可能性もありまして」と、生々しい表現を続けていく。だからそういうのはいいって言ってるじゃん。
と思っても、その言葉は止まらない。・・・ダメだ。伝わらない。

どういったらいいのだろう。相性の問題なのかもしれないが、男運や女運があるように、医者運というのも、あるのかもしれない。

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~病院という所~

それまでの病院は去り、知人のいる病院に移ることになった。
あえて言うなら、心のセカンドオピニオンだ。
次の主治医は、のんびりしたおじさんで、ちょっとホッとした。と思ったのもつかの間、このおじさんは短気でもあった。のんびり見えたのは、その風貌で、白衣のポケットに手を入れて歩く、緩慢な動きによるものだった。

どちらかというと、内向的な私が、人前で、怒髪天を突いたことが数回ある。
そのうちの一つは、病室でのことだった。

主治医が言う。「あなたが少しのことで動揺するたび、若い医師が、それを私に聞きに来て困る。あなたはもっとしっかりしている人だと思っていたのに。」と。
手術を控え、不安な日々が続いていた私の眼は線のようになり、その瞬間、何かがプチっと切れてしまった。

「先生は、手術をしたことありますか?ある日、急に風呂場で倒れて救急車で運ばれて、はい重病でした、手術です。と言われてうろたえたことはないですか。怖かったですよ、すごく。
患者が不安になってたら、大丈夫。いっしょにがんばりましょうって言ってくれるのが、お医者さんじゃないんですか。お手数かけて申し訳ないとは思いますけど、気が弱くなってる時は、優しくされたいですよ。それでも、しっかりしてろと言うなら、病院ってなんなんですかね。」
と、泣きながらも言い終えた。いい歳をして、みっともないとは思ったけど。

先生は、短気ながらも、根は温厚な人物だった。
「ま、僕は手術をする側で、された経験はないけどもね・・・わかるよ。気持ちは。」
とモゴモゴ言いながら、うんうん何度も頷いて、病室から出ていった。
今なら、さしずめ、モンスターペイシェントと呼ばれるのだろう。
でも、感じよくなんてできなかったし、物わかりのいい人にもなれなかった。
バイ奴だと思われたかもしれないけれど、後悔はしていない、今も。

身体でも心でも、悩みを抱えている人は多い。心の在り方、痛みに関しては、個人差がある。根性がない。気のせいなどと言われると、どうしていいかわからなくなるのだ。

医療関係者が忙しい現実は、病院に行けばわかる。表に見えている部分だけでも忙しいのだから、裏の忙しさを考え合わせれば、仕事は際限なくあるのだろう。

それでも、病院で働く方々にお願いしたい。
病院は、患者が不安や痛みを抱えて向かう場所だ。いっしょにがんばろう。そう声をかけてもらえたら、身体より先に心が治る。荒波でも、乗り越えることができそうな気がする。

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~ありがとうの意味~

ストレスはあらゆる病気の引き金になる。
脳腫瘍というのは、頭の中に存在しても、気づかないまま、亡くなっていく人もいる。
ただ、私のように倒れたり、症状が出ると、そのままにしておけないので、手術になる。

なぜ私は倒れたのですか?と聞けば、医師はあっさり、過労でしょうね。と答えた。
私は、無理をしていたのだ。認知症の母の遠距離介護と、仕事と雑多なことで。
過労メーターなど、あるはずもないが、疲れた。と、心の底から感じた時、身体と心は、限界に達していると思う。

これを読んでいる方が、もし働きづめの生活をしているなら、疲れがMAXにならないよう、余力を残してほしい。
何かを悩み続けているなら、その重い荷物をいったん、おろしてほしい。無理をしてまで、良い人を続けなくてもいい。

ストレスというのは、実態がないようなもので、恐れていると憑りつかれ、病気にまで至る。反対に、立ち向かうことができれば、いつか自信に変わる日もやってくる。

振り返って、「終日、誰からも忘れられた病室」というのは、私の幻か、思いこみだったと思う時がある。病院のシステム上、あまり考えられないことだし、何より、その時の私は、誰の声も聞こえないほどに孤独だった。

 

命が惜しいと思った日々の後では、朝、目が覚めるだけでうれしかった。
朝が来て、夜になる。普通に息ができることがありがたい。生きたい気持ちは、そこに行きつく。

そもそも、ありがとう。という言葉は、「有難う」と書き、「有る」ことが「難しい」という意味から成り立っている。夜に寝て、朝に起きられたら、それはあたり前のことではなく、それ自体が奇跡または偶然によるものという考えだ。

だから、というわけでもないが、残りの人生はおまけだと思っている。おまけだからこそ、大切に楽しく生きたいのに、体力の衰えと痛みで思考がとまり、何もできない日がある。

次々と新しい商品が出る中、それに逆行するように、昔のミニチュア写真を載せる私を不思議に思われた方は多いと思う。
未開封のまま集めてきたミニチュアをすべて開封して、写真に残したかった。
スローなペースでも続けていきたいので、もしブログの更新を待っていて下さる人がいるのなら、待っていて下さい。とお願いしたい。

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~感謝の日々~

ブログの前半の画像は、ほとんど5~10年前に撮ったもので、それに拙い文章を添えている。
読み返せば恥ずかしく、削りたい箇所ばかりが目につく。20行の文章が、たった2行になったものもある。まるで備忘録のような記事が多いのにもかかわらず、今も読んで下さる方がいることは、心底うれしい。

十数年に渡り、私はオークションで洋服やミニチュアを販売してきた。
画像を見て、あの人だ。と気づかれた方は多いかもしれない。
あの時は大変お世話になりました。と、この機会に心から感謝申し上げる。

と同時に、当時の対応に、粗さや腹立たしさがあったら、お許しいただきたいと思う。
私は、商売をするには、あまりにも小心で狭量な人間だった。
表面ではいい人になれても、不器用で誤解が生じやすい部分が多々あるので、1~2週間のオークション期間が精一杯だった。それ以上やるとボロが出る。

怒らせてしまった人もいた。あなたが戻るのを、いつまでも待っていると書いてくれた人もいた。
私の画像を気に入ってくれ、温かい言葉をかけてもらえることで元気になれた。
ミニチュアのセットを送った人から、「画像に癒されました。実は、同じものを持っているのですが、どうしてもほしくなったのです。」と、お返事をいただいたことがある。
家の外に出られなくても、人に感謝されることがうれしかった。
その積み重ねが、私の大きな支えになった。

今の望みは、ブログで使った画像のミニチュアを、オークションに出品することだけれど、未だシステムの変化についていけないでいる。
オークションに出す自信がゼロになった時は、駿河屋さんのポツポツと買い取ってもらっている。ブログで使ったミニチュアが、大手の駿河屋さんを介し、誰かの手元に届いたら、それはそれで良い巡り合わせかと思う。

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~何もできなかった日、何かできた日~

ミニチュアはかわいく、集めれば、幻想的で美しく見えるものさえある。
綺麗な世界と、病気がそぐわない気がして、ブログを始めた理由については、これまで詳しくふれてこなかった。

ミニチュアに限らず、小さなものに心いやされる人は、心に重石を抱えていることが多い。このブログの画像や言葉が、苦しんでいる方の一助になればと願った。

街を歩けば、楽しそうにしている人たちに目がいき、なぜ自分だけが。と思うことがある。
しかし、よくよく話を聞けば、高齢者の方は特に、小説が書けるくらいの過去を背負っていたりする。要するに、感じる程度の差こそあれ、苦労していない人などいないのだ。

ある本に、「亡くなった人を忘れないことが、本当の供養」と書かれていたが、生きている人もまた、誰かに思いをかけてかけられて、先を見ることができる。人によっては、足し算、引き算どころではなく、掛け算の如く、ただただ愛してくれる人がいるのだ。

私はまだ生きている。
自分がなぜ生きているのか、生かされているのか、未だによくわからない。
私は問いたかった。なぜ自分が生まれてきたのか。自分の何が役に立つのかを。
あなたの未来に私はいるか。と聞いたことがある。それがどんなに悲しい問いだったか、家族の涙で知った。
何もできなかった日、何かできた日。今は、そのどちらも尊い一日だと思っている。

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お読みいただき、ありがとうございました。

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